ここは埼玉県幸手市。
台風に伴ったうねりは入りっこない。
中川の水が入り込んでいるだけの完全に囲われた水域。
待機中に雨は更に激しさを増す。
今日のまえくみはいつものまえくみじゃない。
あえて呼ぶなら前田だ。
よしッ前田!往くぞ。
言葉も少なく我々は指示されたポイントへと台車を転がす。
ここから潜って水底のロープの状態を報告してください。
社長の表情は雨よけのヤッケを頭から目深に被っていてまったく伺えない。
指示する際に口元だけが動いてそう言った。
目深に被ったヤッケさえまったく雨は防げず雨滴が鼻や頬や顎から落ちていく。
本日のダイビングは釣堀の冬季限定企画「トラウト解禁」に向けてのブラックバスと虹鱒の区画を完全に分ける作業だ。
50Mプールより大き目の広さで一区画。
それが4区画あって、普段はブラックバスエリアになっている。
浮き通路で4つのエリアにわかれている。
このうちの2区画を3月まで限定でトラウトエリアとして開放する。
作業はまずブラックバスを片側2区画に移動させる事から始まる。
底引き網の要領で根こそぎ2区画からバスを追い込む。
そして魚の居なくなった2区画にトラウト(虹鱒)を放流して作業は終了だ。

去年もココではトラウト企画をやったらしいのだが、どうやら底まである網の何処かから虹鱒もブラックバスも自由に通り抜け区画わけした意味がなくなったらしい。
そこで今回私松井と前田に要請が来たというわけだ。
そこは釣堀なんていうと可愛いが、あえて呼ぶなら川。
中川そのもの。
簡単に言うとその川に網を張ってエリアを分けるという仕事だ。
が、ブラックバスエリアでトラウトが釣れる事が在ってはならない。
何の為のダイバー要請か分からなくなってしまう。

水底5m弱。
ヘドロゾーンはまるで闇だ。
マイナス浮力で水底に着定しようとするとフィンにあってはならない感触が襲ってくる。
なんて言えばいいのか…砂時計の真ん中、砂が吸い込まれているところに居るような感覚…
何所までも沈んでいく。
そして真っ暗なのに更に黒い何かが下から舞い上がってくる。
僕は子供の頃に見た映画「ネバーエンディングストーリー」の虚無が襲ってくるところを思い出していた。
怖い…本当に怖い…
その怖さに打ち勝つ方法はただ一つ。
与えられた仕事をひたすらこなす。
ここはこう、それはこう。
手元、足先、身体の動く部分を全てに仕事の命令に変える。
作業以外考えない。
全ての神経を仕事に向かわせる。
それでもやっぱり潜行と浮上は怖い。
集中する仕事が無いからだ。
闇に沈んでいくのも闇をドコが上か分からない中で浮上するのも、一向に慣れたりしない。
水深30cm位になってやっと上から光が入る。
2日間にわたる作業が終了して前田も逞しくなったものだと思う。


自動販売機のHOTを押して前田に投げた。
それからふと川を振り返った。
川は夕焼けの陽光を浴びてきらきらとまぶしかった。
秋も終わりを思わせる冷たい風がさっと頬を撫でていった。
